Demi's Diary 番外編
見学して以来、親方が親友のGOAさんと一緒にずっと考え、大事に温めて育ててきた設計図を、11月にはいって、きちんとした図面に(○永氏の協力により)仕上げていきました。(その後も、ゴアさんは最初から最後まで、設計から内装デザイン、職人の手配、すべてに関わり、親方に付ききりで親方の知恵袋として大活躍してくれたたのであります。) 工事は始まらないものの、親方は毎日現場へ。あちこちスケールではかり、線を引いたり、実際にパーテーションを置いたりして、頭の中でイメージを膨らませます。リビングとベッドルーム、ゲストルームの設計は比較的簡単に終わったのですが、玄関からバスルーム、洗面所、トイレ、キッチンに至る水回りの設計には頭を抱えてました。既にある我が家の大きな冷蔵庫を使いやすい場所に納め、なおかつキッチンのスムーズな動線を確保し、壁と面する洗面所とバスルームの快適な空間を確保するため、毎日、数センチ数ミリの攻防が図面上で繰り広げられました。しかし、11/10頃には何とか決着、あとは現場合わせでいくことにして、いよいよ工事が始まりました。 解体工事 親方とツッチーで、壊せるものは壊し始めていたのですが、11/10、解体屋さんが入って工事。キッチンの壁と玄関の壁をハツる。今回の工事で最も大きな音と振動が出る作業。10時過ぎに始めたところ、下からの苦情で午後からに変更。親方は胃を痛めながら現場を見守る。現場が非常に危険な状況らしく(実際、施行屋のHデ君や解体屋の若い衆は釘踏んで流血!)、私は留守番。 。
11/15(火)に業者さんが最後まで残った水まわりの解体をするため、それまでに今あるゴミを全部出さなければいけない。で、週末はひたすらゴミ詰め。I川君とゴアさんとチカちゃんと私で、ひたすらゴミをどのう袋に詰める。月曜日もひたすらゴミ出し。火曜日もひたすらゴミ出し。午後、業者さんがお風呂とキッチンを解体。その後もひたすらゴミ出し。水曜日もひたすらゴミ出し。結局、あれだけ山のようにあったガレキの山、ゴミの山を、業者に頼まず、仲間だけですべて土嚢袋に詰め、エレベータで階下に下ろしてトラックで処分場へ。11/17(木)、ようやくすべてのゴミがなくなり、8階は完全なロフト状態に。すごく広かった。(写真を撮ってないのが残念。) その後、材料を運ぶ11/25までの1週間は、ガス、電気、水道などの一部工事。 クレーン作業 11/25(木)、すべての材料がやってくる日。なんと、25トンクレーン車で荷物を上げるのです。これは、Mり君が特別に手配してくれました。感謝感謝。 まずは、タイルとフローリングの荷物が朝一で到着。トラックが次の荷物を運びに岐阜まで行かなければならないということで、1時過ぎ到着予定のクレーンを無理やり12時にしてもらう。クレーン車の段取り中にタイヤがずり落ち、変圧器にあわやぶつかりそうになるハプニングに一同肝を冷やす。しかし、その後の経過は順調。それでも恐竜のような長い首の、25トンクレーン車にびびる親方と私は、万一事故があっては、とタイル1.5トンだけは荷台で手運びすることに。だって、自宅の改装工事にこんな大きなクレーン車を使うなんて思ってなかったんだもん。 3時過ぎ、すべての材料7.5トン分を南のベランダに移動、作業終了。 内装工事 ↓翌日11/26(土)から、いよいよ内装工事に入りました。まずは、天井を張り、それから床を張ります。大工さんは作業台の上で材料を切ります。写真の職人さんは、ちょいアル(中)おやじ、数々の伝説を残したKさん。親方以外に作業してくれた大工さんは3人。
12月に入って、天井、床の後は、壁を立てていきます。工事が遅れぎみのため、騒音がしない作業(ちめちめ仕事)は夜に及ぶことも多くなりました。投光器で照らしながらの作業です。
↓働く親方。 ←現場では欠かせない魔法の赤タオル。
↓12月に入ってからは、壮絶な日々。遅れる工事にいらつく間も、キャバレロは通常営業。私が平日も毎日出勤し、親方の分まで頑張ってはいましたが、スペシャルライブの音合わせなど、親方にしかできないことも多々あり、親方はまさに八面六臂の大活躍。コンセントの位置、つくりつけ家具のデザイン、購入する照明器具やインテリアの最終決定をしつつ、合間を縫って銀行での契約をしたり、引越の荷造りをしたり.........。しかも、雪は降る(12/18,19,22)は、地震は揺れる(12/24)は、天候も敵に回って、「なんだって、今年に限ってこんな寒いんだ、ちくしょ~。」と叫びつつ、ほんと大変なのでありました。
引越するときって、皆そうかもしれないけど、古い部屋が妙に愛おしくて、とっても寂しい気持ちになりました。親方が現場で仕事しているあいだ、一人で荷物を整理していると、いろんな想い出が次から次へと頭に浮かび、じんとしちゃうのです。そして、狭くて文句ばっかり言ってたのも忘れて、日当たりがいいことや周りが静かなことや敷地内に駐車場があることや家賃が安いことや、いいことばっかりが気になって、ここでよかったんじゃないか、こんなに大変な思いして新しい所に引っ越して大丈夫なんだろうか、と、弱気になったりもしました。 しかし、いつまでもそんなおセンチな気持ちに浸っている訳もなく、年末に向けて現場は突貫工事、キャバレロはキャバレロで連日朝まで大騒ぎ、そしてキャバレロおせちの準備もあり、引越のための荷造りもあり、引越にまつわる住所変更の煩わしい手続きもあり、年末最後は何が何だか訳がわからないうちに、「何としても新年お正月は新居で!」という親方の執念により、大晦日に無理やり引越したのであります。結局、引越も業者さんに頼むことなく、キャバレロ大学体育学部の力持ちの皆さんにより、すべて済ませてしまいました。とさ。ふぅ~っ。
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