Live & Bar Caballero Club


Demi's Diary in Hospital

デミ夫人の『入院日記』(2001.08/14〜24)

入院当日の不機嫌なDEMI夫人


顔から転ぶ、あるいは転んで頬骨を折るほど顔を打つ。そんな鈍くさい人間がいるだろうか。とほとんどの人は訝ることでありましょう。実際、神田うのが転んで頬骨を折り入院したというニュースを聞いたとき、親方と私は「タレントが顔から転ぶなんてあり得ない。殴られたに決まってる。」と訳知り顔に頷き合ったものです。まさか、自分が同じ目に遭うとは露とも思わず........。うのちゃん、ごめんなさい。そしてありがとう。うのちゃんの昔と変わらぬ姿が、入院中ずーっと私の励みでした。

*入院に至る詳しい経緯についてはDEMI日記8/5以降をお読みください。


8月14日(水)入院、検査

いよいよ入院の日を迎えました。手術は17日、入院期間は23週間という予定です。前日、京都から泊まりに来てくれたRと親方と私は9時に家を出発、名大病院に向かいました。私が入院するのは6階の東側、口腔外科・皮膚科・麻酔科の混合病棟です。病棟は新築2年目、エレベータを下りたホールからは鶴舞公園の緑が見えて、まるでホテルのようにきれいです。でも、看護婦さんに案内された私の病室は窓が東に面した2人部屋。部屋には洗面台があり、窓からの眺めも悪くはないのですが、私のベッドは入口側なので、窓も見えず日も当たらず暗くてちょっとしょんぼりサーカス。ドクターと看護婦さんに空き次第4人部屋に変わりたいと訴えました。

病室に入って、とりあえず証拠写真。

さて、初日は検査三昧でした。5本分の採血、検尿、血圧、心電図、レントゲンなど。なんといっても特筆すべきは身体測定。身長、体重、体脂肪を一度に測定できるのですが、なんと私の身長は1530ミリ!親方が証人です。ほっほっほっ、これで誰にも本当は150センチないなんて言わせません。HPも書き換えなければ!などとほくそ笑みつつ考えました。まあ、この日嬉しかったことはこれだけです。大量の採血も辛かったし、何より主治医の先生(入院中は4人つきます)の「神経が傷付いていた場合、右頬の感覚は戻らないかもしれない。」という言葉と「手術前後、歯が動くのを止めるために上下の歯を針金で縛って固定します。」という言葉に涙が出ました。

この夜、キャバレロはT.I. S.のイベントライブ。9時頃お店に電話しましたが、電話口でヒロポンがすごく忙しそうだったので親方とも話せず。寂しいなあ、と思いつつ就寝。

この日のお見舞:親方、R、私の母親、親方のご両親

815日(水)晴れ 手術の説明

寂しがってた割には熟睡、6:30には看護婦さんが来て検温。病院の朝は早いのです。8時に朝食。毎日午前中9時以降に入院患者は処置室に並んで順番に診察を受けます。診察後ドクターN井いわく「診察の結果、歯茎はしっかりしているので上下の歯は縛らずにいきましょう。」これには本当にホッとしました。部屋に戻ると病衣の交換。月水金は着替えの日なのです。12に昼食。私はおかゆとベビーフードのような刻み食なので、ただでさえ味気ない病院食が輪をかけて悲しいものに感じます。午後はシャワーの順番が回ってきました。あとはずっと読書。ひまです。6時に夕食。

630からは手術の説明を受ける予定。ぎりぎりにやって来た親方と2人で会議室のような部屋に入るとドクターNWTが3人揃って待っていました。ドクターNが私のCT・レントゲン写真、そしてどくろの骨模型を使って説明してくれました。書類によると私の手術は「全身麻酔下における観丘的整復術」。手術時間は前後の麻酔を合わせて3時間未満。折れているのは、いわゆる頬骨と、鼻の横から目の下の薄い骨。まず口の中、上の歯ぐきのところを切ってべろっとめくり、折れて凹んだ頬骨を中から叩いて元に戻します。(板金の要領ですね。)そしてもう1ケ所の骨折が目の下の神経が集まっている穴まで行ってしまっていたら、折れた骨に挟まれた神経を元に戻し、骨をチタンプレートでつなぎます。(ちゃんとネジで骨に固定するんですよ!)プレートは入れずに済めば入れないけれど、入れた場合には1年後に再びプレート除去の手術をした方がいいそうです。ただ、こちらの骨折は切ってみないとどうなっているかはわからないとのこと。

部屋に戻ると医学研究会のアルバイトで以前お世話になったドクターMが名大の非常勤日だったそうで、お花を持って顔を見に来てくれました。手術の説明を受けた後だけに知っているドクターの顔に会って安心しました。実は手術の説明を受けて泣いてしまったのですが、親方に美容整形手術みたいなものだと言われてちょっと気が楽になりました。だって、私が受けるのと同じような手術を、たくさんの人が自ら進んで受けてるんですから。親方が「ついでに鼻にシリコン入れてもらったら。」って半分マジに言いました。(ちょっと心が傾きました。)

この日のお見舞:親方、Tえ、Iナリ、ドクターM


816日(木)くもり 手術前、平和な1

15時頃、病院には全く似合わない団体見舞客(12人)がやって来ました。我々は病棟中央の鶴舞公園を見下ろすロビーに集まり歓談しました。そうしていると、ここが病院だということを忘れます。まるでリゾートホテルのカフェみたいです。入院なんて思いもしない頃、ときどきBOZZの散歩に鶴舞公園に来ました。新しく聳え立つ名大病院の贅沢そうなひらひらしたカーテンを見ながら「建て直すにしてもやりすぎでしょう。」などと悪口言っていましたが、いざ自分が入院してみると「病院はこれくらい明るくないといけないでしょう。」とさっさと意見を変えました。(病棟中央のガラス張りのロビーは食堂になっていて、入院患者は公園の緑を見ながら、ここで食事をすることができます。私は特別食(おかゆ&刻み食)なので、残念ながら病室でしか食べられませんでしたが。)

午前中は診察とシャワー。午後、目の神経に異常ないかどうか念のために眼科で2時間かけて検査しました。結果は全く問題なし。しかも視力は両目とも1.2。そりゃあ2.0の頃よりは落ちたけど、十分でしょう。夜は麻酔科のドクターが説明にやってきました。覚悟を決めて10時の消灯とともに就寝。

軍団1,2を競うぶーで・どでか男、S司とY吾と『捕らえられた宇宙人ごっこ』をするDEMI夫人

この日のお見舞(敬称略):親方、ひろぽん、S司、Y吾、K保田、Tカ、Tっちー、Y一、Gア、K松、Kろ&Mチル


817日(金)くもり/晴れ 手術当日

いよいよ手術の日を迎えました。昨夜も熟睡。怖がってる割にはけっこう図太いみたいです。手術の時間はまだ未定ですが、朝から絶飲絶食です。9時頃、婦長さんが「4人部屋が空いたので変わります。」とのこと。ばたばたと移動。同室のM本さんとも仲良くなって、手術の後は2人部屋でもいいな、と思っていたのにそうはいかないのですね。

移動した部屋の窓からの眺望。
 手前に見えるBOZZ写真が貼ってあるメモ帳が『入院日記』。

そして移動した部屋は南の、しかも窓側。公園が見えてすごく気持ちいい。良かったです。隣のベッドは空き。向いには推定年令70才のMさんと16才のMちゃん(福岡からの入院です)Mキちゃんは大手術をして喉に穴を開け、声は出るけど言葉を聞き取ることはできません。耳もほとんど聞こえないみたいで、唇の動きは読めるようですが、皆とはジェスチャーか筆談です。彼女を見て私は自分が恥ずかしくなりました。私の手術なんてです。なのに、毎日母親と親方に甘えて.......。

手術に向かう前、看護婦さんと母親に髪を結んでもらうDEMI夫人。泣き出す前です。

親方はこんな時にもデジカメで撮影を忘れません。

10にK腸。その後、金曜日は教授回診の日だそうで、教授ほかドクターが5人くらい病室に来ました。教授は私の手術の説明を聞き「あー、もうね、手術はすぐすぐ終わります。大したことありませんよ。」と滞在時間30くらいで隣の部屋に向かいました。.....ですよねえ。1030に母親が来ました。11に生まれて初めての点滴。1330に親方が来ました。直後、ドクターN井が「やっぱり手術は夕方になりそうです。」と言いにきたのに、1400に「今から行きます。」と移動ベッドが迎えに来ました。手術衣に着替え、移動ベッドに移り、髪の毛を2つにまとめます(写真)。お尻に安定剤の注射。痛くて怖くて涙が出ます。親方に手を握ってもらい母親に付き添われて手術室まで移動。これが遠いんです、また。手術室の前でドクターが親方と母親に「ここから先は入れません。病室でお待ちください。」と言っています。私は中の待合室みたいなところにしばらくいました。旧い建物なので天井は低く、周りも雑然としています。ドクターや看護婦さんが入れ代わり立ち代わり「大丈夫だよ。」と泣いてる私に声をかけてくれます。皆まさか私が36だとは思っていないでしょう。突然、ベッドが動いて手術室へ。手術台の隣にベッドが横付けされ、自分で手術台に乗りました。名前を尋ねられ答えるとドクターが手首のリストバンドを確認し、バンドを外しました。看護婦さんが私の手足を拘束し、麻酔科のドクターが何かを私の鼻と口にかぶせたところまで覚えています。

次に覚えているのは「DEMIさん(本当は名字です)。」と看護婦さんに呼ばれたことです。母親によると、1615には病室に戻ってきたそうです。その次に覚えているのは親方が「DEMIプレート入れずに済んだよ。」と言ったことです。喉と顔の右が痛いと言うと看護婦さんが点滴に痛み止めを入れてくれて、眠りました。その後は時々起きて何か喋った覚えはあるのですが、朦朧としながら一晩中、朝まで眠りました。

この日のお見舞:親方、母親(術後落ち着くまでは家族のみです)


818日(土)晴れ

手術の結果:頬骨は予定通り中から叩いて出しました。もう1ケ所の骨折は(確認のため剥がして当該箇所まで行ってみたところ)神経部分は傷付いていなかったので、プレートは入れず、自然治癒に任せることに。手術時間も1時間30分くらいで終わったそうです。

440、起きると母親が横にいました。すごく喉が痛くて、血が混じった痰が出ます。よく見ると鼻からチューブが出ています。酸素マスクは昨日の夜に外してもらったそうです。N-管も入ってるみたいです。まだぼーっとしていたけれど、すごくお腹が空いていたのはしっかり覚えています。母親が「包帯ぐるぐる巻きで戻ってくるかと思ったら、そのまんま、きれいな顔してるよ。」と涙ながらに言いました。それを聞いて私もじんとしました。そして「右の頬を下にして眠らないように」とドクターからの注意を言い残し母親は帰っていったのですが、900に流動食を摂り、1000にN-管を外し、起き上がれるようになって鏡を見たとき、母親がウソを言っていたことがわかりました。私の顔は見るも無惨にぱんぱんに膨れていました。思わず鏡から目をそらし「うのちゃんだって今は元通りになってるんだから大丈夫」と自分に言い聞かせ、それまでなるべく鏡を見ないようにしようと決意しました。

1200親方が来ました。昼食の時間ですが、看護婦さんが流動食を置いたまま出ていってしまって、ちっとも入れに来てくれません。ナースコールすると「動ける人は自分でやってください」とのこと。.......ですよねえ。口の中の傷口が塞がるまでは口から食べられないので、私の食事は「ハーモニック」というビン1本です。温めてあります。それを、点滴と同じような袋にどばどばっと全部入れ、点滴と同じようにワゴンの高いところに引っ掛けます。次に袋のチューブと私の鼻から出ているチューブを合体させます。そしてダイヤルをいじってチューブを開くと、ハーモニックは袋からチューブを通り、鼻から胃へ入っていくのです。じわぁっと胃に入るとき、とてもいやな感じです。そして味わうことなく空腹感が満たされるという不思議な体験をします。Sホちゃんが言うとおりNASAに来て宇宙食を摂取していると思うように努力しました。(でも、いまどき宇宙飛行士だってそんな食事しないような気がするけど。)親方はハーモニックをテイスティングしていました。親方いわく「コーンポタージュスープをすごーく薄くしたような味」だそうです。

1730、点滴。1800、夕食。もちろんハーモニック。1900、親方が帰りました。2030には眠ったような気がします。

この日のお見舞:親方、母親


819日(日)晴れ

入院して初めて夢を見ました。口から食べちゃいけないのにプリンを食べちゃって必死にうがいしている夢です。お見舞いでもらったマンガ「ソムリエ」を全巻読んでしまってヒマだったので、午後はスケッチ。それにも飽きるとMちゃんとマンガを交換しました。彼女が貸してくれたのは高橋留美子「人魚の森」です。私は主人公の絵を描いてMキちゃんにあげました。ドクターによれば、顔の腫れは今日がピークとのこと。親方は私の顔を見るたびに「キャベツ人形そっくり」と言って笑います。この日も3食ハーモニック。

この日のお見舞:母親、親方


820日(月)くもり、台風接近

入院以来、熟睡を誇っていた私ですが、昨夜はチューブのせいで喉が痛くて眠れませんでした。でも今日、チューブが抜ける予定。もうちょっとの我慢です。朝は最後のハーモニック。書き忘れていたけど、薬も鼻のチューブから入れるんです。ハーモニックが終わると袋のチューブを外し、袋はよく洗って干します。今度は粉薬を水に溶き、子供の水鉄砲のような注射器に吸い取り、その注射器を鼻のチューブに挿してぶちゅーっと薬を流し込むのです。注射器は薬用とお白湯用と2本あるので、薬の後はお白湯を吸い取り再び鼻のチューブの掃除を兼ねて流し込みます。

900になるのを待ち、一番に処置室に並びました。口の中の傷も順調に治癒しているようで、鼻のチューブを抜いてもらいました。ちょっと血が出て痛かったけど、あー、やっと元の身体に戻ったって感じ。気持ちいい。930に呼ばれてレントゲンを撮りに外来病棟へ。10過ぎに部屋に戻ると隣のベッドに小学校4年生のAちゃん(でも身長152センチ)が手術後の個室から移ってきました。詳しくはわからないけど、Aちゃんは腰の骨を削って移植するという私の100倍ヘビーなオペを全うした少女です。手術は私と同じ金曜日だったそうです。1200、手術後初めて口からの食事。相変わらずおかゆとベビーフードのような刻み食だけれど、舌で味わうありがたさを痛感しました。夕方1600頃、廊下をうろうろしていると、ドクターN井が「レントゲンの写真あがってきたから見る?」と声をかけてくれました。処置室で写真を見ると凹んでいた頬骨がほぼ元のように戻っています。「すごくいい感じです。傷口もきれいなので、このままなら予定通り金曜日に抜糸、そのまま退院できますよ。」とのこと。やったー!「退院」の一言ですっかり元気になりました。1630、3日ぶりのシャワー。散歩の許可ももらったので、外出届を出して、1700、鶴舞公園で親方とBOZZにご対面。3人(?)で公園を散歩しながら、金曜日退院!のニュースに皆で大喜びしました。BOZZだけはあんまり状況をわかってないみたいだったけど。1745、部屋に戻ると点滴。その後、食事。

  

↑だいぶ晴れが引いたので撮影。点滴とか注射とか痛い時に握りしめたぬいぐるみ。夜にはAちゃんのものに。

2100頃、隣のAちゃんが泣きながら部屋に戻ってきました。聞いてみるとお母さんとお姉さんが帰ってしまい、おまけに「台風がひどかったら明日はお見舞に来れないかもしれない」と言われたので寂しさが倍増してしまったのです。Mちゃんと私で慰め、私は熊のぬいぐるみをあげました。その後3人でトランプをすることになり、ばばぬきを8回やって5回私が負けました。2200Aちゃんと私の間のカーテンを開けたまま顔が見られるようにして消灯。

この日のお見舞:親方


821日(火)くもり/雨、台風上陸

火曜日は体重測定の日です。測定したら、なぜか増えていましたAちゃんは熊のぬいぐるみを片時も放しません。親方が来るまでスケッチと読書。夕方親方が帰り、食事の後Aちゃんのお母さんが帰ると、AちゃんとMキちゃんと3人で一緒にテレビ「学校に行こう」を見ました。Mキちゃんはテレビが聞こえないけど、今まで私が無駄かつ有害だと思っていたバラエティ番組の大きな字幕のおかげで「きゃっきゃっ」と声を出して笑っています。(これからはあの無意味な字幕もMキちゃんの為と思って目をつぶりましょう。)ときどきカーテンを開けて大雨見物。Aちゃんがトイレに行ったと思ったら、また大泣きして部屋に戻ってきました。聞いてみるとドアに腰をぶつけたらしい。看護婦さんを呼んで傷を見てもらいました。どうやら骨を削った傷跡にぶつけたと思い込み、痛い痛くないに関係なく泣けてきたとか。看護婦さんが出ていった後、泣き止むまでAちゃんの手を握っていてあげました。「私にもこれくらいの子供がいたって不思議じゃないものね。」と感慨に耽っていたら「デミさんの手、熱い。」と言われて手を放されました。.....ですよねえ。私の手はすぐにじっとりして、親方からもいつも不評を買っているのです。2230、就寝。

この日のお見舞:親方

いつもぬいぐるみを手放さないAちゃん(右)とMキちゃん(左)


822日(水)雨、台風通過

台風は朝のうちに通過し、お昼にはすっかり晴れました。午前中はA&Mとトランプ三昧。親方の幼馴染みM親方が美味しいお豆腐(瑞穂区白砂町の絶品お豆腐屋さんの)を持ってきてくれたので、夕食に同室の4人で分けて食べました。夜8時頃、のんびり読書していると、以前に医学研究会のバイトでお世話になったC京病院のドクターAが嵐のようにやって来て、嵐のように帰っていきました。忙しいのに、本当に感謝です。2200、就寝。A&Mはその後もこそこそ遊んでいるようでした。

この日のお見舞:親方、Sホちゃん、Tエちゃん、M親方、ドクターA野(退院が決まり、顔の腫れも引き始め、やっと人に会う気持ちになりました。)


823日(木)晴れ 思い出の1日

午前中に母親が来て一緒に昼食をとっていると、親方のご両親が来室。4人でロビーに移動し、歓談。親方のご両親が帰り、病室に戻ると親方が来ました。A&Mと母親と親方と私でトランプしました。そこにA子さんがやって来ました。A子さんは昭和1ケタ生まれですが、見事に染めた金髪、ゴージャスな服装で、昼間見るとますますただ者ではありません。芸能人みたい。AちゃんもMキちゃんも連れて6人で13階の喫茶店に行き、我々子供3人(?)はケーキセットを食べました。親方はいったん帰り、BOZZを連れて鶴舞公園に戻ってくることになりました。そして1700、楽しみにしていた散歩の時間です。AちゃんもMキちゃんも外出届を出し、Aちゃんのママも一緒にお出かけしました。AちゃんもMキちゃんもすっかり親方になつきました。私が明日退院してしまうことを考えると、親方と2人でじんとしちゃいました。夕食後、3人で「アンビリバボー」を見て、おしゃべりして就寝。明日は退院だ。

    

この日のお見舞:親方、母親、親方のご両親、A子さん


824日(金)晴れ 退院

周りの経験者の話によると、口の中の抜糸は涙が出るくらい痛いという噂です。昨夜は抜糸が怖いのと退院が嬉しいのとA&Mが心配なので、あまり眠れませんでした。800に最後の朝ごはん。少しでも痛みが和らぐのではと浅はかな考えでロキソニン(痛み止め)を飲みました。食後、身の回りの物を片付けていると、ドクターN峯が病室に呼びに来ました。抜糸の時間です。ちょっと引っ張ってぷちっ、ちょっと引っ張ってぷちっ、と6回繰り返されました。引っ張るときいやぁな感じはあるものの想像していたよりは痛くなく、泣かずに済みました。私が退院なので、A&Mも一番に処置室に並んで診察を受けるようです。部屋で待っていると、Aちゃんが大泣きして、ドクターに付き添われて部屋に戻ってきました。聞いてみると、抜糸したそうです。ドクターはきっとわざと前もって言わなかったのですね。すごく痛かったそうです。口の中2ケ所と腰の合せて3ケ所を抜糸したようで、私より大変なのでした。私は手を握って「一人でよく頑張ったね。えらいぞ。えらいぞ。Aちゃんのママもきっと誉めてくれるよ。」と繰り返しました。しばらくすると泣き止み「ママに電話をかけてくる。」と言って出ていきました。そしてまた大泣きしながら戻ってきました。聞いてみると、ママが誉めてくれなかったそうです。私は「もう抜糸が済んだら退院するだけなんだから。元気出してね。」と慰めてAちゃんを寝かせました。少し経つとけろっとして起きてきました。11時に親方が来ました。Mキちゃんにも熊のぬいぐるみを、そして2人に昨日の散歩で撮った写真をアルバムにして1冊ずつプレゼントしました。2人は大喜び。親方と私をエレベータまで見送ってくれました。そんな2人を見て思わず目頭が熱くなる退院でした。


あとがき:名大病院口腔外科のドクターもナースも皆さん本当に良い方ばかりでした。病院のスタッフの対応には十分満足しております。本当に感謝しております。そして、暖かいメールや電話、お見舞に来てくださった皆さん、ありがとうございました。今回の件はそもそも私の不注意が原因なのに、たくさんの方達に心配をかけた上、励まし元気づけていただきました。この場をかりて、心からお礼申し上げます。

---この日記を神田うの氏に捧げる?---(捧げられてもねぇ。。。。。。)


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